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悪魔 (再掲)

  姉の存在が重すぎる。 アイツはマジでヤバい。 実例を挙げるだけでも、ヤバすぎて、ここでは書けない。 明日まで我慢して、明日みやもとクリニックに行って吐き出してこよう。 なぜ、カミサマは、あんな悪魔を俺の姉にしたのか? 俺が前世で何の罪を犯したというんだ? たのむ、そっとしておいて欲しい。 ・・・ええい、明日まで待てないから、ここでバラしてやる。 まず、事実として2つ。 父親が、糖尿病で腎臓がダメになって、母親から父親に腎臓移植することが決まった、まさに同じタイミングで、父親に「2号さん」がいることが、バレちゃった。 っていうか、バラしたのが姉なんだけど。 それで、うずくまって泣いてる母親の耳元で、姉がこう耳打ちした。 「お父さんは、家政婦さんみたいな人を探してたんだよ。」と。 つまり、父親にとって、母親は家政婦でしかない、と。 これでもう、悪魔的ですよね。 次は、自分がなぜか戸塚で姉と数カ月暮らしていた時のこと。 戸塚で部屋を借りている、ということは、まだ自分が慶応の学生だった時ってことなんだけど、全然学校に行かないわけです。 行ったところで単位取れないし、興味のある授業もほとんどないし。 それで、無駄に時間とカネを浪費する生活を送っていたわけです。 で、ある日ふと、姉が、「ウフ♫」と呟いたから、「なに?」と聞いたら、「わかる?このバカにしてるカンジ?」と言ったから、ああ、このキチガイは、また人をバカにする練習でもしてんのか、ビョーキだな、と思って、その場をやり過ごしました。 でも、後から気づきました。 あれは、親に慶応を辞めさせてもらえなくて、時間とカネを無駄に浪費している俺を、小馬鹿にしてるんだ、と。 マジでウザいっすよね。 あと、これは僕の想像ですけど、父親は、糖尿病の成れの果てで、最後は、肺水腫という、肺の血管までボロボロになって、水が漏れ出して肺炎になる、という最悪の状態になりました。 亡くなる直前の姿を見ましたが、ちょっとこの場では表現してはいけないレベルになってました。 ああ、人間は酸欠になると、こうなるのか、と。 それで、主治医に呼ばれました。 延命治療をするかどうか。 延命治療といっても、強制的に酸素を供給して、それでも数時間生き永らえるだけなんですけど。 それで、母親は、「少しでも生きていて欲しい。」と言ったのですが、主治医が「苦しい...

ケインズは誤解されている?

  一般理論 ケインズのいわゆる「一般理論」は、読んでみるとわかるが、そんなに易しい本ではない。 山形浩生氏のわかりやすい訳書が講談社学術文庫から出ているから、少しでも興味があれば、ぜひ読んでみて欲しい。 ケインズが構築した理論は、一見簡単そうに見える。 だから、マクロ経済学は文系でもわかるから、ということで、時として蔑視すらされる。 そう誤解(と敢えていうが)している人こそ、ケインズの「一般理論」を読んで欲しい。 現代の日本には、時として完全に間違った理論を、敢えてわかりにくく説明することで、なにかありがたいことを言っているかのように誤解させる詐欺師が、数え切れないほど、いる。 三橋貴明が典型例だ。 そして、その詐欺師どもに騙される人も、数え切れないほど、いる。 ケインズの最大の功績は、実は超ムズい経済学を、素人でもわかるように噛み砕いたことだ。 つまり、実は超ムズいことを、超わかりやすく語ってくれているのが、ケインズなのだ。 だから、ケインズは時代遅れだという前に、まずはケインズ経済学を理解しろ。 そっから始めて、新古典派を勉強するぐらいで丁度いい。 それで、日々まともな新聞を読んでいれば、世の中で何が起きているのか、だいたいわかる。 繰り返すが、ケインズは決して時代遅れではない。 ケインズ経済学はもう過去の遺物かも知れないが、そう断定する前に、ケインズがどれほど悪戦苦闘して「一般理論」を構築し、経済学を「民主化」したのか、その足跡だけでも辿って見て欲しい。 幸い、山形浩生さんの訳は、非常にわかりやすい。本当に尊敬する。 結構ぶ厚いが、読んでいて苦になることはない。 マクロ経済学の知識がゼロでも理解できるか、といえば、それはわからないが、ケインズがいかに悪戦苦闘して、実は超ムズいことを、超わかりやすくモデル化したか、ということだけでも、最低限認識して欲しい。

金言 「100分de名著 河合隼雄スペシャル」 44ページより (再掲)

  自分の内部にある認めがたい影を他人に投影し、とかく悪いのは他人で、自分はよしとするのである。このような傾向が一般化し、一つの民族や一つの国民が、その全体としての影を何ものかに投影するような現象も、全世界を通じてしばしば認められるのである。

権威相対化と共感の倫理

  アリストテレス倫理学と構造主義の対峙:現代における知的権威の変容と共感の地平 知的権威の失墜とアカウンタビリティの台頭 現代社会において、かつて強固であった「知的権威」の基盤が劇的に相対化されている事実は、多くの専門家や市民が肌身で感じている変化である。大学教授という肩書きや、著名な研究機関に所属しているという事実だけでは、もはやその発言の正当性を自動的に担保することはできなくなっている。この現象は、単なる敬意の欠如ではなく、知識の受容と検証における構造的な変容を意味している 1 。かつては「門外漢」として排除されていた一般市民が、専門家に対してその知見の根拠を平易に説明するよう求める「アカウンタビリティ(説明責任)」という概念が、現代の知識流通の必須条件となった。 この変容は、一見すると「知の民主化」という肯定的な側面を持っている。特権的な地位に安住していた専門家に対し、その知を社会に開くことを強いることで、透明性の高い議論が可能になるからである。しかし、その影には深刻な副作用が潜んでいる。知的オーソリティに対する信頼が崩壊した結果、人々は自らのアイデンティティや信条に合致する情報を選択的に信じるようになり、学術的に明白な誤りや、陰謀論めいた言説を臆面もなく支持する土壌が形成された 2 。この状況に政治が介入することで、いわゆるポピュリズム政治が加速し、理性的対話よりも感情的な分断が優先される極端な社会情勢が顕在化している。 このような「知の権威の相対化」は、二十世紀後半に一世を風靡した構造主義的な思考様式、あるいはそれ以降のポスト構造主義的な「知」の解体作業がもたらした成果、あるいはその帰結であると言える。構造主義は、絶対的と思われていた価値や真理を、特定のシステム(体系)内における一時的な「関係性の効果」へと還元した。この思想的背景を理解することは、現代のポピュリズムやエピステミック(認識論的)な危機の根源を解明するために不可欠である。 構造主義による価値の解体:トランプとアリスの寓話 構造主義の先駆者であるフェルディナン・ド・ソシュールは、言語における意味や価値が、その語それ自体に備わっているのではなく、他の語との「差異」の関係から生じると説いた 4 。この言語学的知見は、後に社会全体における「価値」や「権威」のあり方を説明するメタファーとして機...